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共催

後援

協賛

協力

東日本大震災から3年余り。
TAKATA-FESTAを続けてきた中で、同じ志を持つ多くの方々との繋がりを頂きました。

支援活動にも様々な方法がありますが、気持ちは同じ・・・被災地の復興を願う。
そんな多くの方々がTAKATA-FESTA in 熱海を応援してくれています。
直接の関係者・出演者以外の仲間達から、思いや活動内容をインタビュー。

そしてTAKATA-FESTAへの応援メッセージを頂きました。
随時、ご紹介させて頂きます。

 

アーティスト名「キケンジ」としてミュージシャン活動中の鈴木健司さんと、

カナダ・モントリオールにて民宿を営む山田安希子さんのカップルが、

東日本大震災の復興を祈りながらマラソンで日本列島を縦断中。
日本最南端の沖縄県波照間島~日本最北端の北海道宗谷岬まで、

復興支援金を募りながら走り続けている。
中間地点付近の神奈川県にて彼らと会い、活動に対する思いを聞いた。

取材日 4/17 

震災以前からの思い

元々ミュージシャンとして活動してきた中で起こった9.11同時多発テロ。

2011年の2月と震災直前の2月に叔父の住むNYへ渡米し、9.11をテーマとした作品を作る事になったんです。

2月後半に帰国してレコーディングの準備をしてる最中、あの3.11が起こって。

岩手県釜石市に住む祖父母とは一週間もの間連絡が取れなくて。

2ヵ月後の5月の、釜石市を訪れ惨状を目の当たりにしたんです。

それから「何かをしないと。訴えないと」との気持ちが強くなりました。

日本縦断と支援活動を始めたきっかけ

様々な支援活動をしてきたけど、5年後・10年後まで続けられる活動と言う物を意識し始めて。

2012年2月、3.11を思って1ヶ月で311kmを走る事にチャレンジして。

マラソンの経験は無かったんですけど、360km走りました。

翌年の2月にも311kmを走って、6月には100kmマラソンに出場したんです。

70km走った辺りからが本当に辛くて何度も諦めそうになったけど。

そんな中、多くの人達から「がんばれ」と声を掛けて貰って完走できた。

「がんばれ」の4文字で、人間ってこんなにエネルギーを貰えるんだと初めて実感したんです。

100km走りきって次の目標として立てたのが今回の「日本縦断」

計画段階から多くの人達に「がんばれ」を貰って、この「がんばれ」は自分だけでは持て余してしまう。

だったらその「がんばれ」のエネルギーを被災地に方々にも届けたいと思って

「東日本大震災復興祈念」として走る事としたんです。

自分が頑張る事が誰かの為になる、音楽だけでなく人間として。

そんな思いから今回の活動を始めたんです。

TAKATA-FESTAへのメッセージ

地域での運動や活動が一つでも増えてゆけば、そこから変わる事って本当に多いと思います。

僕らが走ってるのも毎日が小さな積み重ねで日本を縦断します。

TAKATA-FESTAの活動も一つ一つの積み重ねが被災地の復興や被災者の心の安らぎに繋がると思います。

イベントの成功に期待して、僕も走り続けようと思います。共に頑張りましょう。

profile

鈴木健司(Runner)

https://www.facebook.com/kikikikikenji

埼玉県出身 1982.6.5生まれ

 

山田安希子(Rider)

https://www.facebook.com/munchkin.japonaise

兵庫県出身モントリオール在住 1985.7.24生まれ

『カップルが走って日本縦断 震災復興支援!!』公式サイト 

  http://run.jpn.org/

  Facebookページ 

  https://www.facebook.com/japanrun

 

「和太鼓仲間PLAY FOR JAPAN」の一員として震災から半年後、第1回TAKATA-FESTAに出演。

翌年の第4回には「PLAY FOR JAPAN」として出演した他に、

お祭りロックバンド「アラゲホンジ」の一員としてもダブル出演。

イラストの才能も持ち合わせ、TAKATA-FESTAのロゴマークのデザインを請け負う。

多彩な才能を発揮中のどうめんさきこさんに震災後の思いやロゴに込めたメッセージを聞いた。

取材日 4/24

震災直後の高校卒業~大学入学

震災の時はまだ高校三年、ちょうど卒業式間近な時で学校からの帰り道でした。

東北の惨状を知ったのは、帰宅後にTVを観てからでした。

岩手に友人がいるので心配でメールを送ったんですが全然返信がなくて。

安否が気がかりで避難所の情報を毎日ネットで見てました。

その子の名前が見付からない日が続き、震災から一週間経った頃にメールの返信が来て、

やっと無事を確認できました。

岩手には以前から踊りの稽古に行ってたんですが、過去に行った建物が幾つも流されてしまい。

それでも毎日TVで流れてる被災地の光景が、どこか別の国で起きてるかのように感じて・・・

車で数時間の場所で起きている事なのに、現実感が湧かなかった事を覚えています。

それからしばらくの間は色々と自粛ムードとか、世間も明るくしてちゃダメみたいな雰囲気があって、自分もずっと気持ちが滅入ってました。

そんな中、自分のやるべき事や出来る事を考えるように過ごしてました。

ボランティア活動とTAKATA-FESTA

2011年9月に学生ボランティアに一人で参加して石巻市へ行ってきました。

津波で浸水した味噌工場の水かき作業を三日間、その時に見た石巻の朝日が忘れられないです。

自分に何ができるのかと東京で悶々としてたけど、

現地の方々と直接関われたり話せたりした事が、

その後の自分の気持ちの励みになりました。

「PLAY FOR JAPAN」として初めて東北、陸前高田に行ったのもその月でした。

最初に旧高田市役所を訪れた時はあまりもの惨状で、周囲に生活の痕跡のある物が沢山落ちてるのを観て、ここで生きていた人達がいたんだという現実を実感し、愕然としました。

そうして参加したTAKATA-FESTA。

太鼓団体の会長が岩手県出身だったり、普段から自分達の叩いていた太鼓の演目が東北の演目だったりで、東北の地で叩く事によってお互い励まし合いたい。

一緒に元気なれるのは太鼓なんじゃないかって思いで参加しました。

二年目に参加した時は再会出来た人もいて嬉しかったし、一回来ればもういいやって人が多いと聞いてた中でまた来れた、太鼓仲間と一緒に行けたことも嬉しかったです。

ただ、再び現地を見た時に、なかなか進まない復興、変わらない状況をみて、まだまだ長い時間をかけた取り組みが必要なんだと実感もしました。

ロゴマークに秘めた思い

最初にデザインお話を頂いた時に、TAKATA-FESTAのTFを入れたデザインでとのお話しでした。

文字よりも雰囲気や形を先にイメージしたんですけど、

最初から丸にしようとのイメージがありました。

表情はもっと笑顔にとも思ったんですが過剰な笑顔より、

常に笑ってるよりも微笑んでる位がちょうど良いのかなって。

頭に生えた一本松は、私も見たし皆も見たし。

この生き残った一本松は今生きてる人達一人一人と通ずる、

そんな思いで生やしてみました。

幾つか提出した中でも一番のお気に入りだったので、これを選んで頂けて嬉しかったです。

まだ陸前高田には二回しか行けていないけど、現地に行ってなかったらきっと書けなかった、

行ったからこそ描けたロゴなんだと思います。

TAKATA-FESTAへのメッセージ

海沿いの街で僕らが次はどうするの?って考えは、当たり前のようで聞いた事が無かったので、ハッとさせられました。

色々な方々と思いや考えを共有できる重要な場だと思います。

そういう思いってイベントに参加できなかった人達にも共有出来たらいいなって思います。

出会うはずの無い人と知り合えるのもイベントですから、一人でも多くの人が来てくれたらいいなって思ってます。

そんなイベントに今回はこうして、Tシャツのデザインとして再び関われて嬉しかったです。

profile

どうめんさきこ

地元太鼓団体「きんたの会」所属

お祭りロックバンド「アラゲホンジ」のとしても活動

狛江★きんたの会★ブログ

http://gold.ap.teacup.com/0601kinta/

アラゲホンジ HP

http://aragehonzi.com/